筆者について

食べることが何より優先で行動がめちゃくちゃになる

筆者本人のやせているときと小康状態になったときの対比の写真を動画で掲載しています。 体重は最低20キロ、最高40キロくらいです。まるで別人なので、よかったら是非みてみてください。

拒食症患者は、「食べることが何より優先」です。

そのようなことを聞くと、

 

「えっ、どうして?」

 

と思われる方が多いと思います。

 

「拒食症」というほどですから、「食べない」と思われているからです。

しかし、拒食症とは言っても、本当に何も食べていないわけではありません。人間は、何も食べなければ1週間で死にます。

 

今回は、拒食症患者がどれだけ異常に「食べること」に執着しているかについて、お話ししたいと思います。

 

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1.食べることは何より貴重

拒食症とは言っても、絶対に何か食べています。当然のことですが、まったく食べないと、人間は生きられないからです。

ただ、その量が極端に少ないのです。

このことは、本人にとって何を意味するのでしょうか?

 

拒食症患者は、常に飢えている、という話を書きました。

いつも飢えていて、何か食べたくて仕方ないのです。

そして、食べることに関し、以上に厳格なルールを作っています。

たとえば、「〇〇のときに限り、△△だけを食べる」などという無意味なマイルールです。

 

そうであるからこそ、数少ない「食べる機会」は、大げさでなく「死ぬほど」重要です。それを逃したら、次いつ食べられるか分かりませんし、命もつなげなくなります。

 

ただ、問題なのは、「食べるのが怖い」ということです。拒食症の人を放っておくと、食べる機会があっても、それをどんどん飛ばしてしまいます。

つまり、本当に食べない期間を重ねて、どんどん痩せ、衰弱するのです。

 

そうはいっても本人は飢えきっているので、何も食べないくせに、実際には常に何か食べたいのです。

 

 

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2.必死すぎて、他のことがどうでもよくなる

私の場合には、この極限の飢餓状態のせいで、人生においていろいろな後悔と苦痛を被ってきました。

あまりに飢えていて、食べることにいっぱいいっぱいなため、本当に大切な機会を逃したり、大切なものを邪険に扱ってしまったりしたからです。

私は、そのことは一生忘れないし、思い出すたびに心がきりきりと痛みます。

決して自分を許すことはできません。

 

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2-1.飼っていた猫に辛く当たった件

1つは、飼っていた猫のことです。

 

私は、猫が大好きです。子供の頃から30年来の猫マニアです。

かつて、糖尿病の猫を飼っていました。その子は身体も弱くて、ご飯を与える時間が決まっていたので、私が仕事から帰ってきてご飯をくれるのを心待ちにしていました。

でも私は、昼ご飯を食べずに夜遅くに帰ってきて、心も体もへとへとな状態で、その猫にかまう余裕がなくて、足にまとわりついてきたその子のことを、払いのけてしまったのです。

今思い出しても、涙が出そうになります。どうしてそんな扱いをしたのか、と。

 

しかし、そのときの私は、何かを口に入れたくて仕方がありませんでした。

飢えていて、食べ物に対して必死すぎて、寄ってくる病気の猫にかまう余裕がなかったのです。

実際には飲み込まずにチューイングするだけなのに。これは、心もお腹も全く満たされない行為です。そんなために罪のない猫を、私を待ちわびていた猫を邪険にするなんて、本当に最悪な人間だと思います。

 

2-2.父親の死に目に会えなかった件

もっと最悪なのは、父親が亡くなったときのことです。

父はすい臓がんで亡くなったのですが、父の危篤時、私と母親は、父親の入院先の病院の病室にいました。

しかし、私の「夜ご飯(数少ない食べる機会です)」の時間が近づいてきて、私は飢えによって気持ちが落ち着かなくなり、「何か食べたい」という必死な思いになりました。

そのとき、父はいつ何時なにが起こってもおかしくない状態(危篤状態)だったので、母は病院にとどまりたかったのですが、私がイライラして切れそうになっているので、仕方がなく2人で病院を離れて車でいったん帰宅することになったのです。

ところが、案の定、車で帰宅している途中に病院から電話がかかってきて、父が死亡したことを知りました。

つまり、私は、拒食症のために、「ご飯を食べたい」という必死な思いのために、父親の死に目にも会えなかったのです。

 

もっとかわいそうなのは、母です。

母は普通の人ですから、私のそんな思いは分かりませんし、長年連れ添った父親の死に目に会えなかったことは、言いようもなく辛かったと思います。

実際に、その後、母から「あんたのせいで、お父さんの死に目に会えなかった」と言われました。

私は、そう言われても仕方がないと思ったので、何も言い返しませんでした。

 

今でもそう思います。全面的に私が悪いのです。親不孝にもほどがあります。父にも、本当に申し訳ないです。最悪な子どもです。

 

 

「ご飯が食べたい」

 

それだけのために、危篤の父親を放って家に帰ろうとする子どもがどこにいるというのでしょうか?

 

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3.私の心は、既に死んでいる

私は、たぶん病気じゃなければ、絶対にそんなことはしないと思います。でも、病気だと、そこまで判断能力がなくなるんです。

「食べないと死ぬ」、常にその状態が続いているから、自分でコントロールできないんです。

これは本当に辛いです。辛くて辛くて、死にそうです。

 

そんなことを繰り返してきているから、私の心は、もうとっくに死んでしまっているように思います。

心の中で、涙を流し尽くしてしまったから、いろんな意味で麻痺しているかもしれません。

 

それでも、父親のことや猫のことを思い出すたび、心が痛みます。

父親のことは、本当に悪いことをしたと思っています。しかし、もう取り戻すことはできません。

どれだけ自分を責めても、やり直すことはできないのです。

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