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1.筆者は20年の拒食症キャリアです
筆者は、17歳の高校受験のときに拒食症にかかりました。
それ以後20年以上にわたり、拒食症と闘ってきています。
最初は、病識もなく、わからないことばかりでとてもつらかったです。
しかし、その後だんだんといろいろなことを知り、今はそこらの医師より私の方が、よほど病気に詳しくなっています。
それでも、この病気は治りません。
今も、「食べなきゃいけない」とわかっていても、食べられません。
毎日が無駄に過ぎていき、つらい生活を送っています。
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2.受け入れるしかない辛さ
私は、この病気のせいでいろいろなものを失いました。
また、チャンスも逃したと思っています。
でも、くやしいとか、なんで?と言うことは思っていません。
これも、運命だったのだと思っています。
文句を言っても恨んでも、何も変わらないから。
だから、受け入れて生きるしかありません。
たとえ、毎日が「ご飯が食べられない地獄」であっても。
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3.普通に生活をしていても、ご飯が食べられないのは致命的
私は、拒食症でも大学に入り、まっとうに仕事もしてきました。
事業を興して個人営業もしていました。
でも、その間、ず~っと毎日昼ご飯は食べられませんでした。
毎日お腹が空ききった状態でふらふらになりながら勉強をして司法試験に合格して弁護士やってました。
それでも、そんなことにはすぐに限界が訪れます。
私も、10年で弁護士を辞めざるを得なくなりました。
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4.一番酷くて死にかけていたとき
一番酷いときは、体重が20キロになりました。そのときは本当に死にかけていて、起き上がる筋力がなかったです。
腹筋が全くないので「たん」を吐き出すことができず、かぜをひいたときに「呼吸困難」になって死にかけました。救急車で運ばれましたが、医者は「たんなるかぜ」としか認識せず、こちらが死にかけていることがわかりませんでした。
医師も拒食症についてはまったくわかっていないのです。
また、手足の感覚がまったくなくなり、痛みも熱さもわからなくなりました。
耳も聞こえづらくなり、変な感じで聞こえるようになりました。
5.筆者の今は、「一寸先は闇」
今は、そのときよりはよくなっていますが、それでも自宅からほとんど出られません。
アクティブなことはできませんし、すぐ疲れるし、何より自分でご飯が食べられません。
親や夫が一緒に食べてくれないと、少しも食べられないので、今私が1人で放り出されたら、死ぬしかありません。
いつ死ぬか分からないから、記録を残そうと思いました。
そんな私が、このブログで、今まで私の20年間のことを、書いていきたいと思っています。
もし関心がありましたら、時々お読みいただけたらと思います。