私は、毎日、何かに囚われて生きているように感じています。
何をしていても、心から楽しいと思えることがありません。それは、食べ物と体重と病気でがんじがらめになっているからです。
今回は、そんなことを書きたいと思います。
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1.リラックスする時間が一瞬たりともない
普通の人は、心がリラックスしていることがあると思います。たとえば、何か好きなことをしていたら、楽しいと思えるでしょうし、のんびり過ごしているときは、頭が空っぽになるかも知れません。
でも、私の場合、そういうことがあまりありません。いつも、頭の中には拒食の訳の分からない考えが渦巻いているからです。
たとえば、何もしていなかったら、「次、何時にご飯を食べるのか」と考えてしまいます。「何を食べるのか、どれだけの量を食べるのか」などとぐるぐると考えます。のんびりテレビを見ていても、実際にはのんびりしていないのです。
また、暇があると、すぐに噛み吐き用の食べ物を買いに出ます。そして、大量に食べ物を買い込んで、無駄に何十分でも噛み吐きを続けて、へとへとになってしまいます。
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2.噛み吐きをすると、心が氷のように凍てつく
筆者は、物を擬人化してしまう傾向があります。たとえば、クッションや車、机などの「物」に命があるように感じてしまうのです。そこで、そういった物をないがしろにすると、とても悪いことをしたように思います。病気の衝動で「こんなもの、要らない!」などと言ってしまったら、その後物に悪い気がして、「ごめんね、ごめんね」と誤っていることもあります。子どものような感覚かも知れません。
そういう性格なので、噛み吐きするのはとても辛いです。
せっかく、職人さんが作った食べ物なのに、こんなにきれいに飾り付けてもらっているのに、美味しく食べてもらうためのお菓子なのに、どうして私はこんなことをしているの?
本当は、美味しく食べてもらえるはずだったのに、運悪く私なんかに買われてしまい、食べ物がかわいそうだと思います。
また、せっかく母や夫が買ってくれたものなのに、私はすべてを裏切って無にしている、そんな気持ちにもなり、悲しくなります。
そんなことを考えているうちに、心がどんどん冷えてきて、凍り付いていくように感じます。
そういうときには、ひたすら噛み吐きを続けながら、心の中には、無表情で何も言わずに涙を流している自分がいると感じます。
そして、そういう悲しみを感じないように、心がどんどん冷えていって内側深くに沈み込んで、何も感じなくなるのです。まるで凍てついたようです。
筆者は噛み吐きをやめられません。やめたら、自分を維持できないと思います。
でも、この行為がとても嫌いです。へとへとになるし、自己嫌悪で、お金もやたらとかかり、完全に不毛な行為です。
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3.毎日が牢獄にいるのと同じ
私は、私自身を牢獄に閉じ込めていると感じます。
旅行をしていても、誰か(同じツアーの参加者の女性など)をターゲッティングして「あの人はちゃんと食べているか」と考え、チェックするばかりの苦痛が始まります。まるで自分がストーカーのようだと感じます。
スポーツクラブに行ったら、誰かしら痩せている女性を見つけて「あの人痩せすぎている」と気になり、そっちの方ばかり見て、気もそぞろです。
ハイキングをしていても、いつお昼ご飯を食べるのか、何を食べるのか、そんなことばかり考えます。
旅行に行ったら、普段と違う食べ物を食べるので「帰ったら体重が増えているかも知れない」という恐怖をもったまま過ごすことになります。
かといって、自宅にいたらいたで、1日のスケジュールやノルマが厳格に決まっているので、1日を終えるとへとへとになっています。
かといって、ゆっくり休んでいたら、食べ物のことばかり考えて噛み吐きするだけなので、まったく意味なんてないのです。
今日は何をしたのか?
何もしていない。後に残るのは病気で意味の分からない行動をとっていたことくらいです。
4.懲役刑を受けているのと同じ
もう、こんな生活から解放されたいです。これだと、まるで懲役刑を受けている人と同じだと思います。
誰も強制していないけれど、自分で自分をしばっているからです。
強制労働はさせられないけれど、自分で自分にノルマを課して強制労働させています。
懲役刑を受けている人は、まだ、出てきたお弁当を全部食べられるだけマシだと思います。
「刑期を終えたら、好きなことをしてやろう」とも思えます。
私は、いつか自分の好きなように生きられるなんて、まったく思えない毎日です。
そもそも、常に病気に囚われているので、自分がやりたいことが何かすら分かりません。
普通にご飯が食べられたら、それだけでいいです。
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