筆者について

「死んで有名になりたくない」と思った件

筆者本人のやせているときと小康状態になったときの対比の写真を動画で掲載しています。 体重は最低20キロ、最高40キロくらいです。まるで別人なので、よかったら是非みてみてください。

筆者は、あまり身体を動かせないので、いつも家にいます。家にいる間中、噛み吐きや仕事をしていないときは、ずっと考え事をしています。

今日は、ふと「死んで有名になるのは嫌だ」と思ったので、そのことを書きます。

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1.病気の人のブログが有名になることはよくある

世間では、よく、「難病の方が書いたブログ」が有名になることがあります。

小林麻央さんなど、芸能人の方が闘病して書かれたブログもありますし、一般の方が書かれたブログが死後に多くの方に読まれることもあります。

そういったブログを読んで、同じ病気の方が「勇気をもらえた」とおっしゃることも多いですし、テレビで取り上げられたりドラマ化、映画化されるパターンなどもあります。

確かにそういったブログは、人の心を打つことがあります。

私も、他人のそういったブログを読んで「私は治る病気なんだから、私は生きたい、生きなきゃ」と思い、勇気をもらえたこともありました。

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2.筆者が死んだらどうなるのか?と思った

そして、私はふとこのブログのことを思い起こしました。

そんなにたくさんの方が読んでいるわけではないこのブログですが、もしかして、私が拒食症で死亡したら、何かのきっかけで有名になるかも知れない、という、意味のない空想です。

夫や母が、私の死後に、拒食症への理解を求めて、このブログの存在を世間に広めることもあるかもしれません。

そうなったら、日本のたくさんの人がブログを読んで、拒食症への理解が深まり、今よりもいろいろな制度が整って、社会の受け入れ環境も整うかもしれません。

また、同じ拒食症の人が「勇気をもらえた」などと感じるかもしれません。

そして、うち(私の自宅)には、私の命日になると、多くの人から「食べ物」が送られてきたりするかも知れません。

「生前、食べられなかったぴりかさんに、少しでも」

などと言って、大量の食べ物が届いたりするのかも。

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3.やっぱり「生きたい」

そんなくだらない想像をして、私は

「そんなのは、絶対に嫌だ」

と思いました。

ブログで有名になんてならなくて良いから、生きたいです。

私が死んだ後で、私のことが糧になって拒食症への理解が進んでも、うれしくないです。

私がいなくなった後で、私の家にたくさんの食べ物が届いても無駄です。

そんなことは、こっけいです。

死んで有名になるなんて、まっぴらごめんです。

そんなことにならないように、この病気を絶対に治したいと思いました。

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