拒食症の症状

拒食症|圧倒的な「病識の欠如」について

筆者本人のやせているときと小康状態になったときの対比の写真を動画で掲載しています。 体重は最低20キロ、最高40キロくらいです。まるで別人なので、よかったら是非みてみてください。

筆者は、もう20年も拒食症(摂食障害)に苦しんでいるので、自分の病気のことは、よくわかっているつもりです。

もちろん、自分が痩せすぎていることも十分わかっていますし、痩せすぎの身体に「良いことなど1つもない」ことも、よくわかっています。

しかし、そんな筆者も、実は「病識」が全然ないのだということに、最近気づきました。今回は、拒食症(摂食障害)の患者に病識がないことについて、書いてみたいと思います。

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1.病識とは

まずは、「病識」について説明をします。

病識とは、自分が病気であることを認識していることです。

たとえば、妄想してしまう人がいるとして、その人が「これは妄想だ」とわかっていたら、病識があるということです。そうではなく、妄想が「真実」と思っていたら、病識はありません。幻覚や幻聴なども同じです。

精神病の場合、病識がない病気が多いです。気が狂っている人は、自分が気が狂っていると思わないのです。

そして、拒食症の場合も、病識がないと言われます。

たとえば、拒食症になってどんどん痩せていっている人は、自分が痩せすぎていると思っていません。周囲が驚くほどがりがりの身体でも、少しでも肉があったら「落とさなきゃ」と思います。

少しの肉が「許せない」「無駄」「贅肉」「醜い」と感じるのです。骨と皮のガリガリになっても、まだ痩せたいと思います。

また、痩せていることに不都合を感じません。むしろ、解放されたような爽快な気分になっていることもあります。

筆者も、当初拒食症になったとき、体重がどんどん減って痩せていくことが爽快でした。

それが、私を虐げてくる世の中に唯一対抗する手段だったからです。辛いことがあっても「痩せているから、体重が少ないから、まぁいいや」と思えます。

以前、拒食症の人は自己肯定感がないので、「痩せ」の殻に閉じこもるしか、身を守る手段がないと書きました。

 

筆者が拒食症になった原因・「がりがりの身体」は、自分を守るたった1つの鎧

 

食べない、痩せることにより、自分の心の平温を保っているのです。

まさか、それが悪いこととは思っていません。

筆者も、最初痩せて行っていた頃はこういう状態で、まったく病識がありませんでした。自分が拒食症であることにも気づいていませんでした。

気づいたときにはガリガリですっかり体力がなくなっており、髪も薄くなって寝たきりになり、死にかけの状態になってしまいました。

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2.今は病識を持っていると思っていた

その後、筆者は一度過食状態となり、体重が一定程度まで回復しています(吐かなかったため、体重がある程度までスッと増えて、過食も止まりました)。

そのときには「以前、痩せていたときはおかしかった。もう、あんな状態には絶対になりたくない」と思いました。

そして、自分は病気であることを自覚して、気をつけよう、と思いました。

つまり、筆者は病気であることを分かっていると思っていたのです。病識ができたということです。

しかし、その後、筆者はまた痩せていきました。

ただ、そのときには当初の段階とは違い、痩せるのが悪いことだと分かっていました。

「自分は病気なのに、病気に引き込まれている、困ったな、どうしよう」という感じでした。でも結局止められず、痩せすぎて20キロくらいになりました。そのときも、自分が病気であることはわかっているつもりでした。

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3.実は、病識がないとわかったこと

しかし、実際には筆者は病識がないのです。病気に関しての知識はあっても、まったくもって、実感として感じていないのです。そのことに、最近気づきました。

そもそも、筆者は「自分が病人」と自覚していません。

だから、何かことあるごとに自分を責めますし、何かしていないと気が済みません。

周囲は、「病人なんだから、ゆっくりしてたらいい」と言いますが、筆者は、ゆっくりしていることに耐えられません。何か有用なことをしていないと、自分の価値がないように感じてあくせくしてしまいます。

また、病識のなさは、身体の病気になったときに激しく感じます。

たとえば、以前筆者は突然「B型肝炎ではないか?」と思ったことがありました。

そのときには、「もし肝炎だったらどうしよう!」と思い込んで心配でたまらず、検査のための予約も入れました。

しかし、よく考えてみたら、肝炎の心配をするよりも、自分の拒食症の心配をすべきなのです。しかし、拒食症で死にかけていてもそのことは放置しておいて、肝炎の心配をしているのですから変です。拒食症のことは、全然気にならないのです。

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また、その後、筆者には脳腫瘍があることが明らかになっています。良性なので、現時点では特段問題はなさそうなのですが、当初に医師から聞かされたときには「死ぬのか?」と思いました。

そのときには、さすがに「ずーん」と来て、頭を殴られたような衝撃で、くらくらっとしました。

しかし、よくよく考えてみたら、実際には脳腫瘍以前に、拒食で身体がぼろぼろなのです。そのことは放置で、脳腫瘍だと「大ショック」なわけです。感じ方に圧倒的な違いがあります。

さらに、もっと軽い病気である「風邪」などでもわかります。

筆者も風邪を引くことがありますが、風邪で熱が出たりすると身体がだるく痛いので、「しんどい、早く治ってほしい」と思いますし、薬も飲みますし、1日寝て過ごします。純粋に、「一刻も早く治りたい」ですし、治そうとします。

しかし、拒食のせいで、風邪よりも身体にはるかに大きな悪影響が出ていても、なぜかそっちは放置です。治したいのに、治す行動をなかなかとることができません。

「体重が増えるのがこわい」などと言いながら、おそるおそるしか食べられない日々です。

つまり、普通の病気ならば、「病気だから治そう」と思って心底積極的に治そうとしますし、不調を自覚して身体を休めたりもするのですが、慢性的になっている拒食症については、まったく病気であることを実感していないのです。

筆者は、最近ようやくこのことに気づきました。

病気を頭で分かっても実際には感覚がついてきておらず、結局は病識がないのです。

「病人だから、ゆっくりしていていいよ」

そういう許しを自分に与えられないのです。

むしろ「病人だったらゆっくりしていいということは、病気が治ったらあくせくしないといけないのか?」などと思い、「そんなのはしんどいから嫌だ、怖い!」などと考えてしまう、訳の分からない自分もいます。

毎日がぐちゃぐちゃでしんどいです。

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