筆者について

摂食障害で苦しんでいる時間は「空白」

筆者本人のやせているときと小康状態になったときの対比の写真を動画で掲載しています。 体重は最低20キロ、最高40キロくらいです。まるで別人なので、よかったら是非みてみてください。

筆者は、20年間摂食障害で苦しんできましたが、この病気で苦しんでいる期間は「空白」になります。

というのも、病気が良くなると、病気で苦しんでいた頃のことをすっかり忘れてしまうからです。そのとき何を考えていたのか、何をしていたのかの「記憶」が本当になくなり、ぽっかり穴が空きます。だから、筆者はすでに20年を無駄にしてしまったことになります。

今回は、そのことを書いてみたいと思います。

 

スポンサーリンク




<

スポンサーリンク


スポンサーリンク


1.一度良くなったとき、病気だったときのことを忘れた

筆者は、大学受験のときに拒食症になり、一時は30キロを切りましたが、大学2年くらいのとき、いったん体重がだいぶ戻ったことがありました。

戻ったときには、30キロくらいになっていた頃のことは、不思議にすっかり忘れていました。

30キロくらいの期間は1年くらいあって、日々必死で生きていたはずなのに、元気になると、なぜかほとんど記憶がないのです。その頃の人間関係もほとんど覚えておらず、付き合いもなくなってしまいます。

 

どうも、拒食で苦しんでいるときは、頭が異常になっているみたいで、元気になったら何を考えていたのかなども含めて自分でも分からなくなってしまうようです。

 

そのことを知っているから、筆者は病気が酷い期間の時間を無駄だと感じます。

きっと、もし将来良くなることがあったら、今の時間はすべて無駄になっているのでしょう。きっと何も覚えていないのかも知れません。気がついたらおばあさんです。貴重な時間が、砂のようにどんどん流れて行ってしまいます。

 

スポンサーリンク




<

2.何もかもがまやかし

拒食で苦しんでいる私にとっては、何もかもがまやかしです。

一日一日が、食べ物と体重だけに支配されて生きているからです。どうせ、後になれば、今の記憶などほとんど残っていないのです。何かに集中していても、気を紛らわせることがあっても、結局は何をやってもかりそめで、空白な時間です。

 

いつもいつも、心も体もからからに乾いています。何かを経験しても、手のひらに上から砂が流れ落ちてきて、指のすき間からどんどん流れ落ちていくような感覚です。

 

心の中で、私は涙をこぼしています。そんな思いを誰にも気づかれないように、表面では仏頂面をして。

 

世の中には楽しいこともたくさんあるでしょう。でも、何を見ても何をしても、私の元にはとどまりません。すべてが流れ落ちて、私には何もありません。今は病気の時間だから、病気に支配されている以上、私には「自分」がないのです。

 

この病気になって20年間、すべてが空白の時間だったような気がします。この病気に苦しんでいる間、病気の記憶すらもどんどん消えて忘れてしまいます。

 

スポンサーリンク




3.もしも認知症になったら解放されるのか…?

ときどき思います。私がヨボヨボのおばあさんになったときにようやく病気が治ったら、いったいどんな気持ちになるのだろうか、と。

その頃には食欲もなくなっているから、もはや「食べたい」とも思わないのかも知れません。

そうなったら、私は一生「好きなものを好きなだけお腹いっぱい食べる」という楽しみを知らないまま死んでいくことになりますね。

 

こうも思います。

もしも年を取って認知症になったら、「やせ」を気にしなくなって自由に食べるかも知れない、と。

認知症になって、何もかも、一番大切な家族のことすら忘れて呆けてしまい、人間として終わってしまっても、それでも食べることだけは自由になるのかも知れない。(認知症の方やそのご家族の方、ご気分を害されたら、大変申し訳ありません。認知症でもがんばって生きておられる方がたくさんいらっしゃることは、重々承知しておりますので、ご容赦ください)

皮肉にも、そのときが、ようやく私が解放されるときなのかもしれない、と。

 

私は、すべての記憶も頭の働きも失い、何も分からない痴呆状態になるしかないのか、そうでもしないと解放されることはないのでしょうか?

 

そんなことを考えながら、心の中ではいつもいつも涙が溢れています。

そして、そんな思いを覆うように、がりがりの骸骨の鎧でガードをして、しかめ面をしながら生きています。

 

私の他にもそんな思いを抱えて生きておられる方がいるかもしれません。

どうか、摂食障害の患者の方に、少しでも、救いが訪れますように…。

スポンサーリンク




スポンサーリンク